Del Shannon - 50's~80's Pops&Rock Bar Tears Drop

 デル・シャノンは、1961年「Run Away/邦題:悲しき街角」でデビュー。

 

このデビュー・シングルがいきなり全米1位になった60年代初頭の大スター。

 

1961年というと、僕は中学1年生で勉強もせずに毎夜ラジオばっかり・・・・。

 

でも、この「悲しき街角」はラジオと言うよりはTVの「ヒット・パレード」で飯田久彦が甘いマスクで歌っているほうが記憶に残っている。

 

当時、洋楽ポップスに日本語の詞をつけた曲が全盛。

 

前述の飯田久彦は、「悲しき街角」、

デルシャノン第二弾「花咲く街角」やジーン・ピットニーの「ルイジアナ・ママ」を、

コニーフランシスの「可愛いベイビー」を中尾ミエが、

「ヴァケーション」を弘田三枝子が、

ジミー・ジョーンズの「ステキなタイミング」を坂本九が、

ポール&ポーラの「ヘイ・ポーラ」を九重佑美子・田邉靖雄が、

ダニー飯田とパラダイスキングがフォー・シーズンズの「シェリー」を、

パラキンの一員だった田代みどりがアネット・ファニセの「パイナップル・プリンセス」を、克己茂がジョン・レイトンの「霧の中のジョニー」を・・・・・。

 

あの頃は、アメリカ、イギリスのヒット曲を日本語で歌ったたんだな~!!

 

で、デル・シャノンの「悲しき街を角」お飯田久彦が歌って大ヒットしたのが1962年。

小生、14歳で中学2年生。

学校からの帰宅途中、必ず金沢八景の弁天島で遊んでたのを思い出しました。

でも、遊んでいたのは男ばっかり・・・・、もてなかったな~!!

 

で、デル・シャノンですが、その後も街角シリーズを中心にヒットを連発しましたが、1990年2月8日に自宅で猟銃自殺をしてしまいます。

享年56歳。

 

大スターになると色々なことを考えてしまうんだろうな~!

才能の無い、タダの人で良かったかも・・・・?!

 

写真は、デル・シャノンのBest盤。

 

収録曲は、・・・

 

   RUNAWAY / 邦題:悲しき街角

 

   HATS OFF TO LARRY / 邦題:花咲く街角

 

   KEEP SEARCHIN' / 太陽を探せ  等

 

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