未完です~徐々に書いていきますからね。お待ちください。

2012年

2月

20日

★ 60年代Pops ~ その①

日本のテレビ放送が開始されたのが1953年。

 

当然、テレビは富裕層の娯楽であり、我ら貧乏人には無縁のもの。

 

当時は父の勤める会社の寮に住んでおりましたので・・・当然貧乏人。

寮は、鎌倉時代の学問所である金沢文庫・称名寺の裏手にありました。

  

だから、遊びは自然と称名寺や坊主山(正式にはキンタクサンというらしい?)、文庫の海水浴場‥等・・・。1年中真っ黒に日焼けしていたね。

 

こんな自然が相手だったのですが、突然我家にテレビがやってきた!

 

多分58年か59年ごろだったと思います。

 

周囲の家も貧乏人だらけ(?)で、もちろんテレビは無い。

毎週日曜日の夜は、ご近所さん集合してテレビ観戦。

当時はね、何故か部屋を真っ暗にしてね・・、プロレス、プロ野球等のスポーツや「ジェスチャー」「私の秘密」、「日真名氏飛び出す」等を見ていた。

 

僕は、まだ小学生低学年だったので、強制的に眠らされていたんだけど、家が狭いので音声のみ聞こえてくるんだね。

 

それで想像力が逞しくなって・・・・、幼少時の体験で・・・、こんな大人になってしまった!

 

当時の父親は絶大なる権力を持っていましたので、どんなに番組を見たくてもテレビ=父=スポーツ観戦なってしまう

だからね、父が残業で遅く帰宅した時が最高の日でしたよ。

日本の番組でよく見ていたのが、「月光仮面」、「七色仮面」、「少年ジェット」、「てなもんや三度笠」、「とんま天狗」‥等。

そんな日本の番組の他にアメリカからいろいろな番組が入ってきた。

アニメの「マイティ・マウス」や「スーパーマン」、「名犬リン・チン・チン」、「名犬ラッシー」、「アイ・ラブ・ルーシー」、 「ローン・レンジャー」、「パパは何でも知っている」、「ローハイド」、「ララミー牧場」、「アンタッチャブル」 ・・‥など。

 

60年代になると「ベン・ケーシー」 、「コンバット!」「ルート66」、「じゃじゃ馬億万長者」、「逃亡者」、「0011ナポレオン・ソロ」、「奥さまは魔女」 …など。

 

なんの番組か忘れてしまったけどアメリカのホームドラマで・・・、子供が大きな冷蔵庫からこれまた大きな牛乳瓶を取り出し、直接口を付けて飲む。

そして勝手にリンゴを取り出しジーパンにこすり付けてこれまた丸かじりする・・・。

 

これを見た時、本当にショックだったね。

 

こんなアメリカのホームドラマから僕のアメリカ崇拝主義が始まるんです!

 

ウ~ン、なかなか60年代Popsにたどり着かない。

 

60年代Popsは次回に・・・・、To Be Continued・・・、ナ~~ンチャッテネ!!

 

 

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2012年

2月

25日

★ 60年代Pops ~ その②

金沢文庫時代、我家には戦火を免れた父のクラシック・レコードが結構ありました。

 

このレコードは、78回転。

結構分厚く重いので、一度円盤投げのように飛ばしたことがあります。

ビックリするほど飛ぶんですが、このレコードはとにかく割れやすい。

 

この時代、レコードはとても貴重なものでしたが、当時の僕(小学生)には価値を知りませんので、友人と公民館横の公演で飛ばしっこ・・・。

  

後日、父親に烈火のごとく叱られた記憶があります。

 

残りのレコードもいつの間にか紛失してしまいましたが、今あのレコードを持っていたらかなり貴重だったろうね・・・・・・残念!

記憶にある最初のポピュラー音楽では、やはり父が持ってきたハリー・ベラフォンテのLP

 

若い方でも、ベラフォンテの名前は聞いたことはありますよね・・・!?

 

そう! 1985年に世界的な大ヒットとなった「USAフォー・アフリカ」の「We Are The World」の提唱者なんだから!!

 

で、ハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」が世界的な大ヒットし、アルバム自体も当時としては珍しいミリオンセラーを記録したとか。

 

この歌はトリニダードの労働者がバナナを船に積み込むときに歌う労働歌なんだけど、日本でも浜村美智子のカバーバージョンが大ヒットしました。

 

歌い出しの「♪デーオ、イデデ、イデデ、イデデ…♪」という掛け声が特徴的で、遊んで転んだ時に「♪痛てーよ、痛てて、痛てて、痛てて~~よ♪」などと叫んでいたな~・・・。

 

ハリー・ベラフォンテは、その後も「マティルダ」や「ダニー・ボーイ」など、世界的なヒット曲を連発。

 

この時代の私の年齢といえば、・・・小学生34年生だったようで・・・・・、ハイ!

 

また当時、人気だったのがカントリー・ウエスタン。

 

特に好きだったのが、「ライダーズ・イン・ザ・スカイ」という曲。

正式には「ゴースト・ライダーズ・イン・ザ・スカイ」と言うらしいのだけ、何故かもの凄く気に入ってしまい、年がら年中デタラメ英語で歌っていました。

 

この曲は、1948年、スタン・ジョーンズという人によって発表されましたが、名曲故いろいろなアーチストがカバーしています。

ビング・クロスビー、ペギー・リー、スパイク・ジョーンズ、ブラザーズ・フォー、フランキー・レイン、エルビス・プレスリー、ジョニー・キャッシュ、ブルース・ブラザーズ・・・・。

何と、あのベンチャーズまでがインストで演奏しています。

 

お店で聴けるのは、ジョニー・キャシュ盤。

その他のカントリー・ウエスタン、西部劇主題歌としてハンク・ウイリアムス、フランキー・レインなどもありますよ!

 

このような音楽とR&B、ジャズ、ブルース、ゴスペル等の黒人音楽との融合によって、ロックン・ロールやロカビリーが生まれ・・・・・・、70年代のハード・ロックなどにつながっていくんだけど、・・・・・まだまだ60年には届きませんね!

 

この続きは・・・・・「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」のモコ・ビーバー・オリーブのように・・・・・・・・今日の続きは、また明日!

 

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2012年

4月

22日

★ 60年代Pops ~ ③

中学1年の1学期に金沢文庫から京浜富岡に引っ越したのですが、金沢文庫当時が懐かしいので若干思い出話を・・・、お付き合いください。

 

京浜急行金沢文庫駅の改札口を出ると、右手に「すずらん通り」があります。

このすずらん通りのほぼ中央にキリン座という邦画専門の映画館がありました。

ここで観た黒沢明監督の「七人の侍」が、吾が人生最初の映画鑑賞だと記憶しています。

この「七人の侍」の封切は、1954年(昭和29年)なので、小生6歳。

当時、ほとんど娯楽らしきものはなかったので、映画館は非常に混んでてね、舞台上で見ていた記憶があります。

 

そのキリン座の左右どちらかは失念しましたが、金沢文庫では有名な資産家「小田薬局」があります。

そう、オフ・コースで活躍した小田和正先生の御実家。

小生の3つ上の兄と小田和正先生の兄弟と一緒に「ボウズ山」で遊んだ記憶がありますが、先生は覚えていないだろうね・・・。

なんせ50年以上前のお話ですからね・・・。

 

金沢文庫改札口の正面に日本蕎麦屋さんがあり、数か月に1回、買い物帰りに母親と一緒に「かけうどん」を食べるのがとても楽しみだったね。

でも、その当時の「かけうどん」の値段はいくらぐらいだったんだろうか?

30円ぐらいかな~?

 

駅前から15号線を右折すると小学校時代の同級生だった「長嶋製パン」がありました。

パン工場がお休みの日曜日に工場内でよくかくれんぼをしたもんです。

当時、まだ甘いものがそんなに普及してなくってね、かくれんぼしながら菓子パンの失敗作などを盗み食いしてましたよ。

 

そのパン屋さんを出、15号線を渡ると坂があり、登り切った左手に「天使幼稚園」があります。

教会には、大きなマリヤ像がありましたね。

 

通常、学校の先輩後輩というと、中学・高校・大学をイメージするよね。

幼稚園の後輩と言うのは何となくピンとこないけど、会社勤めしていた時、僕のチームに配属されてきたかわいい女の子が、なんとこの天使幼稚園の後輩。

この時はビックリしましたね。

このかわいい女の子も今年ご結婚されたようです。

 

いや~、思い出すときりがないね。

 

まだまだ金沢文庫の思い出を書きたいけど、この辺で終了。

 

近々、本格的に60年代Popsに入りますからね・・・・!!

 

 

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2012年

5月

04日

★60年代Pops~④/1960年前後

金沢文庫から京浜富岡に引越したのが1962年。

 

社員寮から一戸建ての家になり、次兄と同室とはいえ、あの夢にまで見たアメリカのホームドラマのような子供部屋。

もう、有頂天の大はしゃぎ、頭の中は完璧なアメリカン!

次兄と同室だが、2段ベットの上段は誰にも邪魔をされない自分だけの世界。

 

学校から帰宅すると直ベットへ・・・・。

そこで本を読んだりイヤフォーンでラジオを聴いたり・・・・で、完璧なラジオっ子が誕生したわけです。

学校から帰宅して直にベットに寝転がり、漫画や本を読みながらラジオを聞きだす。

 

この当時、洋楽のベスト10番組が週3本ぐらいあってね、ベスト10の曲目をすべて生徒手帳の白紙ページに記入していました。

 

でもね、この生徒手帳を就職後、転勤時に紛失してしまいましてね・・・・、残っていたら、当時の思い出がいっぱい詰まっていたのにね・・・・、残念、残念です。

 

ラジオから流れてくる曲の常連さんといえば、プレスリー、リッキー・ネルソン、ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシス‥等。

特に好きだったのが、キングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」(1958年11月ビルボードNo.1記録)、プラターズの「煙が目に染みる」(1959年2月ビルボードNo.1)・・・etc

 

まだまだBeatlesは登場しません!!

●エルビス・プレスリー/Elvis Presley

 

ご存じ、キング・オブ・ロックンロール。

1956年に6枚目のシングル「Heartbreak Hotel」が全米1位を記録してから破竹の勢い。

今更説明するまでもないけど、1977年に死去するまでの21年間で、100位以内に146曲、40位以内に112曲、20位以内に72曲、10位以内に38曲がチャートインしているんです。

そしてNo.1ヒットは全18曲で、ビートルズに次ぐ歴代2位。

やっぱり、キング・オブ・ロックンロール。だよね!!

ロックン・ロール、リズム&ブルース、ゴスペル・ミュージックの3部門で殿堂入りした初のアーティスト。

●ポール・アンカ/Paul Anka

 

1957年にデビュー曲「Diana/ダイアナ」がビルボードNo.1位を獲得。

この曲、日本ではチャコさんでも有名ですよね!

カラオケで女性に嫌われているNo.1曲 フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」は、彼の作詞・作曲でもあります。

Neil Sedaka

彼も作詞・作曲家としてとても有名。

1958年にコニー・フランシスのために作った「間抜けなキューピッド」で注目を浴び、「恋の片道切符」、「おお!キャロル」、「カレンダー・ガール」、「すてきな16才」、「悲しき慕情」などが次々に大ヒット。

ポール・アンカと並ぶ全米のトップアイドルでした。

 

僕らの年代が大好きな曲の一つ「ライオンは寝ている」は、トーケンズというポップ・グループの曲なんだけど、このグループ、実はニール・セダカが高校時代に結成したんですって!!

知ってました?

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2012年

5月

06日

★ 60年代Pops~⑤/1960年前後

生まれて初めて” 東京”に行ったのが1960年、小学6年生・・・かな?

この時の衝撃は、生涯忘れないだろうね!

 

まだ、横浜市では伊勢佐木町が文化の中心で、横浜駅だって高島屋と相鉄ビルぐらいしかなく、ススキ野原が見えていたくらいの時代。

 

有楽町駅で驚き、銀座で驚き、歌舞伎座で驚き・・・、上映館の東劇に、さらにその時観た映画に・・・・、もう驚きの連続!!

 

当時の「東劇」は、当然ビルではなく、写真のような洋館。

正面入口から真直ぐに赤ジュータンが敷きつめられており、思わず靴を脱いじゃいそうなほど・・・、もう日本ではなかったですよ。

その時に見たのが、今でも大好きな映画の一つ「アラモ」。

 

テキサス独立戦争中、サンタ・アナ将軍率いる数千人のメキシコ軍と200名足らずのテキサスの民衆とが繰り広げた13日間の戦闘で有名な「アラモの戦い」。

 

登場人物は、当時の少年たち憧れの♪わずか三つで熊退治♪のデヴィー・クロケットやナイフの名人ジェイムズ・ボーイ‥等

 

画面も当時信じられないほどデカイ70㎜大画面・大迫力!!

 

主題歌がブラザース・フォー「遥かなるアラモ」で、エンディングの曲は前年(1959年)封切の「リオ・ブラボー」の主題曲「皆殺しのテーマ」。

いまでもこの「皆殺しのテーマ」を聴くと涙が出てきます。

 

このアラモ以来、血涌き肉躍るハリウッド映画が大好きになってしまい・・・・、現在に至ります、ハイ!

 

60年代は、映画主題歌のヒット曲が結構あるので、この流れの中で一度ご紹介するつもりでいます。

 

乞うご期待!

●ブラザース・フォー/ THE BROTHERS FOUR

 

ワシントン大学の学生4人が1958年に結成したフォーク・グループ。

 

翌年1959年コロムビア・レコードからのデビュー・シングル「グリーンフィールズ」が大ヒット。

その後も「遙かなるアラモ」、「7つの水仙」等が連続ヒットし、アメリカンフォークの代名詞として世界的なトップグループに。

 

キングストン・トリオやPP&Mとともに、アメリカンフォーク・ブームを確立。

この流れは、その後のジョーン・バエズやボブ・ディラン等へ続くムーブメントを導いた。

 

日本へは1962年の初来日以来ほぼ毎年ツアーを行い、日本のキャンパス・フォークからカレッジ・ポップスの創生に大きな影響をあたえました。

 

若い方にも是非一度は聞いて欲しいグループですよ!!

 

 

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2012年

5月

28日

★ 60年代Pops~⑥/1960年

京浜富岡での夢の子供部屋。

この子供部屋で過ごした数年間という時間は、自我形成の上でとても重要であった感がします。

 

当時、興味と言えば、釣り、読書、音楽だけ。

ファッションとか女の子には全く興味がなくってね・・・・。

どこに行くにも学生服で、後は母が買ってきた洋服だけ。

女の子に関しては、興味がなかったというよりは・・・・・、モテなかった、というのが本音。

 

気候が良くなると日曜日には釣りを、平日は本とラジオの生活。

本は昔から好きでネ、小学生時代に読んだ「少年少女世界文学全集」の延長で各社の文庫本を手当たり次第読み漁っていました。

漫画も大好きでね、1959年に創刊された少年サンデーと少年マガジンを毎週購入。

 

中学生になって初めて月500円のお小遣いをもらうようになった時は、狂気乱舞しましたね。

この金額が多いのか少ないのか判断しかねたけど、これまで自分のお金なんか持ったことはないし、誰にも相談せずにモノが買えるんだから・・・、こんな嬉しいことはなかったね!

 

岩波文庫の★1つが50円、少年サンデー・マガジンが30円の時代。

漫画2冊計60円×月4回で240円、文庫本月23冊で100200円程度。

本購入だけでお小遣いはほとんど手元に残りませんが、自分で買えるという行為が嬉しかったね!

 

小遣いが無くなると、後はラジオ聞きまくりの生活だったけど、毎日が満ちたりていたな~。

学校から帰宅後、すぐに自室に籠り本を読みながら惰眠を貪る。

夕食後も直に自室に戻りラジオを聞きだす。

勉強していたふりをして、夜11時ごろに好い子ブリッコ子で「オヤスミナサイ」と両親に言ってから、再度好きな本を読みながらイヤフォーンでラジオ。

気が付けば、夜が白々と明け始め、慌てて寝る。

 

こんな毎日じゃ、勉強なんかしてる暇がないよね。

当然、成績の定位置は学年ワースト3

そのため、母親がよく学校に呼び出されていたらしいけど、「勉強しなさい!」という言葉を聞いたことがない。

改めて、母に心から感謝!

 

勉強ができず、成績が悪くてもね、人間いつかは真剣になるもんですネ。

「愚息、不肖の子、このタコ!」と言われ続けても、気が付けば定年退職できるくらい社会の中で生き続けられたんだからね。

 

ダメな子はダメなりに自分で考えて行動をするもんですネ!

 

1960年にラジオから流れていた代表的なヒット曲です。

 

・悲しきインディアン/ジョニー・プレストン

・本命はお前だ/エルヴィス・プレスリー

・恋には弱いの/コニー・フランシス

・ビキニスタイルのお嬢さん/ブライアン・ハイランド

・イッツ・ナウ・オア・ネバー/エルヴィス・プレスリー

・ザ・ツイスト/チャビー・チェッカー

・ラストダンスは私に/ドリフターズ

・わが心のジョージア/レイ・チャールズ

・グリーン・フィールズ/ブラザーズ・フォー

・オンリー・ザ・ロンリー/ロイ・オービソン

・ポエトリー・イン/モーション/ジョニー・ティロットソン

・グッド・タイミング/ジミー・ジョーンズ

・急がば回れ/ヴェンチャーズ      ‥など

 

次回は、順次曲の紹介をしていきますからね!

 

 

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