2025年
10月
13日
月
(※ヤードバーズ時代のジミヘン/一番右)
1960年代末Jeff Beckと一緒に「Yardbirds」で活躍していたジミー・ペイジが、ロバート・プラント、ジョン・ボーナム、ジョン・ポール・ジョーンズに声をかけて結成されたバンド「ニュー・ヤードバーズ」を
Led Zeppelinに改名。
そして発売されたデビューアルバムと2ndアルバムで世界を熱狂の渦に巻き込んでいく。
この凄まじいバンドLed Zeppelinの出発点には、いったい何があったのか?
Led Zeppelinの軌跡を4人のインタビューと幼少期からの写真やLive映像等々を交えて追っていきます。
4人の幼少期に感銘を受けた音楽・バンドから始まり、それぞれの音楽活動が認められセッション・バンド時代を経て、ヤング・ヤードバーズからLed Zeppelin結成、衝撃の1stアルバム発表とハードロックバンドとして世界が認めた2ndアルバム。
僕がLed Zeppelinに出会ったのが、まさに2ndアルバムからなのです。
自分が体験した時代そのもの。
興奮するよね。
2ndアルバムのジャケットをお店の看板にしてるくらいですから・・・。
この映画を見て改めて4人のカッコよさ・凄さ・結束・絆・優しさを感じました。
特に卓越したドラム技術でバンドを支えてたジョン・ボーナム。
彼が80年代に世を去った後、レッド・ツェッペリンは解散してしまいますが、ジョン・ボーナムが生前残したインタビューの声を耳にするときの各メンバーの優しい笑顔が忘れることができません。
ロックを愛する方、大好きな方は、絶対に見て欲しい1本です。
大画面で大音響で2ndアルバムからの大ヒット曲「Whole Lotta Love(胸いっぱいの愛を)」、1980年に32歳で急逝したジョン・ボーナムの未公開音声は、鳥肌もんでしたよ。
それに、メンバー個人の語りと映像と画像で見せる若き日の姿で50年代・60年代のイギリスの音楽状況や彼らの成長過程がみられます。
特別料金+IMAX料金が2900円と高めですが、レッド・ツェッペリンの黄金時代の幕開けとなる1968-69年を中心に本人たちエピソードとお宝映像、血湧き肉躍るライヴパフォーマンスは料金以上に価値があると思います。
最後に個人的に嬉しくなってしまう話ですが、60年代初頭のPopsが好きな人はLed Zeppelinとしてデビューする前の4人の意外な姿が最高なんです。
若いころの4人は、アメリカ産のロックンロールやR&Bの影響を受けています。
ジミー・ペイジはセッション・ギターリスト時代、世界的なヒット曲を持つアーチストのレコーディングに多数参加していたんですネ。
「恋のダウンタウン」のペトラ・クラーク、映画「007/ゴールドフィンガー」のシャーリー・バッシー、WHOやキンクス、ジョー・コッカーやドノヴァン‥等やルルの「いつも心に太陽を」のアレンジをジョン・ポールジョーンズだったとか・・・・嬉しくなってしまいます。
まだまだ書きたいことが一杯ありますが、この辺で・・・。
Rockが好きな方、是非ぜひ映画館に足を運んでください。
本当に素晴らしいドキュメンタリーですから・・・。
最後にもう一つ嬉しくなってしまうお話。
映画のエンドロールで流れる曲が・・・・、なんとアメリカのロカビリー歌手エディー・コクランの「C’mon Everybody」と「Something Else」なんです。
当店にレコードありますから、気に入ったら聞きに来てください。
2025年
9月
22日
月
僕が影響を受けた一人がコニー・フランシス。
そのコニー・フランシスが、2025年7月16日に他界しました。
享年87歳。
心より合掌!
僕が生まれたのは、終戦後3年目の1948年。
終戦後3年。
もう3年なのか、まだ3年なのか・・・・、当時の映像を見ると、日本国中が貧乏で飢餓状態。
子供が欲しがるお菓子など甘いものが殆どなく、僕の家を含め周囲の家庭は、ほとんど貧乏でした。
そんな時代の楽しみと言えば、ラジオから流れてくる音楽。
大学に入るまで音楽を含め世の情報は、全てはラジオから。
特に音楽~演歌・歌謡曲・流行歌・洋楽等々は、ラジオから頻繁に流れてきました。
だから僕らの年代は、当時の流行歌を今でも歌えますよ!(笑)
洋楽はカバー曲全盛の時代でしたが、ラジオから流れてくるエルビス・プレスリー、ポール・アンカ、ニール・セダカ、パット・ブーン等に影響を受けたのは事実。
コニー・フランシスもその一人。
日本では当時ダイナマイト娘と呼ばれていた弘田三枝子、初代3人娘の中尾ミエ・伊東ゆかり・園まり、川崎出身の坂本九、お笑い系のダニー飯田とパラダイスキング、等々が活躍。
ラジオからは洋楽番組でコニ―・フランシス等々を聴き、TVでは弘田三枝子、中尾ミエ等から洋楽のカバーを聴いて育ちました。
洋楽好きになった原点だよね。
会社定年退職後にお店をオープンさせた頃、同年代のお客様から60年代初期のリクエストをずいぶんいただきました。
コニー・フランシス、ダスティス・プリングフィールド、ブレンダ・リー、・・・
懐かしい~!
今の若い方にも是非コニ―・フランシスや60年代ポップスを聴いたもらいたいです。
コニー・フランシス(Connie Francis)は、1937年12月12日生まれのアメリカ合衆国出身の歌手、女優。
「ビルボードの選ぶ歴史上最も偉大なHot 100女性アーティスト」において14位。
11歳の頃からショーに出演。
1958年にリリースされた「Who's Sorry Now?」が大ヒットしてからは、1960年代前半にかけてヒット曲を連発。
1960年「Everybody’s Somebody’s Fool」で全米シングル・チャート(Billboard Hot 100)1位を獲得し、同チャートで1位となった最初の女性アーティストに。
1961年には「Together」がヒットし、「ビルボード」誌のアダルト・コンテンポラリーのシングルチャートで女性として初めて1位を獲得。
全世界で2億枚以上のセールスを誇り、53曲を全米シングル・チャートに送りこむ。
日本でも多くの曲がカバーされ、弘田三枝子や中尾ミエらが大ヒットに。
1962年、23歳の時に発売した代表曲「可愛いベイビー」は近年TikTokで再注目されているようで、同プラットフォームで100億回再生を突破しているとか・・・。
若い世代からも注目を集めているそうです。
日本でも大ヒットした曲例。
・ヴァケイション (Vacation)
1962年7月発売。ビルボード最高9位。
日本では、同年に青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子、弘田三枝子、安村昌子らによる競作でカバー。
2002年に映画『ナースのお仕事ザ・ムービー』主題歌として観月ありさが日本語詞でカバー。
・ボーイ・ハント (Where The Boys Are)
1961年1月発売。ビルボード最高4位。
日本でカバーしたのは竹内まりや 他
・カラーに口紅 (Lipstick On Your Collar)
1959年5月発売。ビルボード最高5位。
日本では森山加代子や小泉今日子らが、山川啓介の訳詞で伊東ゆかりがカバー。
・間抜けなキューピッド (Stupid Cupid)
1958年7月発売。ビルボード最高14位。モノラル録音。
1998年にフジテレビで放映されたドラマ「Days」で挿入曲として用いられた。
テレビ東京「モヤモヤさまぁ〜ず」では提供ベースに流れるBGMに使用。
・可愛いベイビー (Pretty Little Baby)
アメリカではシングル発売されておらず、日本独自のヒット曲である。
1962年に中尾ミエ(ビクター)、森山加代子(東芝)、沢リリ子(テイチク)、後藤久美子(コロムビア)の4社競作でカバー。
・夢のデイト (Someone Else's Boy)
日本独自のヒット曲。
・ロリポップ・リップス (Lollipop Lips)
アメリカでは発売されず。日本独自のヒット曲。渡辺トモコや「九重佑三子とダニー飯田とパラダイス・キング」が競作でカヴァーした。
・大人になりたい (Too Many Rules)
1961年発売。ビルボード最高72位だったが、日本では伊東ゆかり、後藤久美子などの歌で大ヒットした。
2025年
9月
09日
火
スペイサイドの奥深いノッカンドゥ村の静かな谷間にあるノッカンドゥ蒸溜所。
そこで造られる原酒は、スペイサイド特有の洗練された華やかなウイスキーとは一線を画すウイスキーとしてウイスキー評論家や愛好家達から高い評価を得ています。
原酒のほとんどはブレンデッドウイスキーに使用 ~ 特に「J&B」のキーモルトとして有名。
シングルモルトとして発売されるのは約5%。
「ノッカンドゥ 12年」は、とても希少なシングルモルトです。
「ノッカンドゥ 12年」の最大の特徴は、原酒本来の香りを台無しにしないようにピートの使用量やシェリーカスクの樽香を最小限に抑えて管理されていることです。
厳重に管理された淡い琥珀色の原酒の香りは、フルーティーで上品な花のような香りやほんのりとした繊細なスモーキーさが感じられ、他のスペイサイドモルトにはない複雑で優美な香り。
心地よい甘さが広がり、バランスの取れたデリケートでクリーンな味わいなので飲みやすく、後味も爽やか。
華やかさや派手さはありませんが、「素朴で誠実」な味わいが魅力のスペイサイドの隠れた名品と言われています。
気取らずに楽しめるシングルモルト。
スモーキーさが苦手な初心者や女性にも最適です。
「ノッカンドゥ 12年」 : シングル 1,150円 ⇒ 1,000円