2025年

8月

04日

★ オジー・オズボーン/ Ozzy Osbourne

 メタルロック界の帝王Ozzy Osbourne2025722日に亡くなりました。

 

享年76歳。

 

とてもショックです。

 

と言うのも、オジーとは同じ年なんです・・・・・、1週間違いですが・・・・。

オジーの生年月日が1948123日で僕が同じ年1948年の1210日。

同じ年の死は、辛いよね・・・・。

 

 オジーは、パーキンソン病にもかかわらず、自身の音楽の集大成として75日にイギリス・バーミンガムのヴィラ・パークにてラストコンサート「Back to the Beginning」を実施。

 

 同ラストライブには、アンスラックス、スティーブン・タイラー、ジェイク・E・リー、サミー・ヘイガー、ルディ・サーゾ、チャド・スミス、ロニー・ウッド、ヤングブラッド、ガンズ・アンド・ローゼズ、パンテラ、トゥール、ラム・オブ・ゴッド、ゴジラ、マストドン、スレイヤー、メタリカなど、ヘヴィメタル界、ロック界を代表するミュージシャン、バンドが次々とステージに登場。

 

 歩行困難のオジーは、椅子にすわりながらも、ザック・ワイルド擁するオジー・オズボーン・バンド、ブラック・サバスによるパフォーマンスで駆け付けた多くのハードロックやメタル系のアーチストと一緒に楽しそうに歌い、無事終了したと聞いていました。

 

 それなのに・・・・、終了したばかりなのに・・・・・。

燃え尽きたんですよね・・・。

 

Live終了と共に逝去。

辛いけど、凄いですよね。

まさにメタル界の帝王らしい死に方だと思います。

 

最後のコンサートでは、全身全霊をかけてファンに感謝を伝え、その姿は世界中に感動を与えたオジー。

 

オジーの音楽と精神は、これからもロック史に刻まれ、僕らの心に生き続けていくと思います。

 

 報道によると、葬儀にはザック・ワイルド(Zakk Wylde)、ブラック・サバス(Black Sabbath)のバンドメイトであるトニー・アイオミ(Tony Iommi)、ギーザー・バトラー(Geezer Butler)、ビル・ワード(Bill Ward)、そして、エルトン・ジョン(Elton John)、マリリン・マンソン(Marilyn Manson)、メタリカ(Metallica)のジェイムズ・ヘットフィールド(James Hetfield)とロバート・トゥルヒーヨ(Robert Trujillo)、スリップノット(Slipknot)のコリィ・テイラー(Corey Taylor)、ロブ・ゾンビ(Rob Zombie)、ヤングブラッド(YUNGBLUD)等、約110人が葬儀に参列したそうです。

 

本当にお疲れ様でした。

 

 

心より合掌‼

 

オジー関連の所有レコードを紹介しますね。

 

当店でのオジーのリクエストはかなり多いです。

《Black Sabbath時代》

1970年発表の1stアルバム「Black Sabbath(邦題:黒い安息日                                                    

・アルバムはUKチャートで8位、アメリカではビルボードで23位を記録。

                                             

 

・ローリング・ストーン誌が選んだ「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」で243位、「オールタイム・ベスト・デビュー・アルバム100」に於いて44位にランクイン。         

◆「Paranoid  

           

1970年発表の2ndアルバム                        

・シングルカットされたParanoidは、UK4位を記録。                                                    

・アルバムはUKチャートで1位獲得した他ドイツで2位、アメリカ・ビルボードで12位を記録。                    

 

・ローリング・ストーン誌が選んだ「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」で131位、「オールタイム・ベスト・デビュー・アルバム100」に於いて44位にランクイン。

1972年発表の4thアルバム「Black Sabbath Vol.4                                                             

 

・アルバムはUKチャートで8位、、アメリカ・ビルボードで13位、ドイツで14位を記録。                                                            

1973年発表の5thアルバム「Sabbath Bloody Sabbath」収録。  

                    

・アルバムはUKチャートで4位、アメリカ・ビルボードで11位を記録。           

《オジー・オズボーン ソロ活動》

◆「Blizzard of Ozz/邦題:血塗られた英雄伝説」

          

・ブラック・サバス脱退後、ランディ・ローズ(元クワイエット・ライオット)、ボブ・デイズリー(元レインボー)、リー・カースレイク(元ユーライア・ヒープ)といったメンバーを迎えた作品。

 

・本作からの第1弾シングル「Crazy Train」は、全英シングルチャートで49位、ビルボード誌のメインストリーム・ロック・チャートで9位を記録。

 

・第2弾シングル「ミスター・クロウリー」は全英46位を記録。

 

・この作品でランディ・ローズのギター演奏は高く評価。

音楽評論家のSteve Hueyallmusic.comは「ヴァン・ヘイレンのファースト・アルバムと並び、1980年代のメタル・ギターの基本となった」「クラシック・ギターのテクニックと音階を応用することで、エディ・ヴァン・ヘイレンと同様、徹底的にルールブックを書き換えた」と絶賛。

Guitar World」誌が選出した「100 Greatest Guitar Solos」で、「クレイジー・トレイン」のギター・ソロが9位に、「ミスター・クロウリー<死の番人>」のギター・ソロが28位にランクイン。

 

 

●アルバム参加ミュージシャン

オジー・オズボーン - ボーカル

ランディ・ローズ - ギター

ボブ・デイズリー - ベース

リー・カースレイク - ドラムス、パーカッション

 

ドン・エイリー - キーボード

  ◆ ソロ第2弾 「Diary of a Madman

 

・本作からの第1弾シングル「Flying High Again」は、ビルボード誌のメインストリーム・ロック・チャートで2位に。

 

・その後、「オーヴァー・ザ・マウンテン」も同チャートで38位、「ユー・キャント・キル・ロックン・ロール」も41位に。

 

・本作発表後のツアーの途中の1982319日、ランディ・ローズが飛行機事故で死去・・・。

               ランディー・ローズ在籍時の最後のスタジオ・アルバム。

 

●アルバム参加ミュージシャン

オジー・オズボーン - ボーカル

ランディ・ローズ - ギター

ボブ・デイズリー - ベース

リー・カースレイク - ドラムス

 

 

ルイス・クラーク - ストリングス・アレンジ(on 8.)

   ソロ第3弾 「Bark at the Moon

 

・ランディー・ローズの事故死を受け、ギターにりジェイク・E・リーが加入。

また、元メンバーのボブ・デイズリーが復帰。

キーボードのパートは、『ブリザード・オブ・オズ』(1980年)にも参加したドン・エイリーが担当。

 

・本作からの第1弾シングル「月に吠える」は全英21位、続く「ソー・タイアード」は全英20位。

 

●アルバム参加ミュージシャン

オジー・オズボーン - ボーカル

ジェイク・E・リー - ギター

ボブ・デイズリー - ベース

トミー・アルドリッジ - ドラムス

ドン・エイリー - キーボード

ルイス・クラーク - ストリングス・アレンジ

◆ソロ第4弾The Ultimate Sin                                                               

・新たにフィル・スーザンとランディ・カスティロを迎えた編成で録音された。

本作からの第1弾シングル「暗闇にドッキリ!」は、アメリカではオズボーンのシングルとしては初めてBillboard Hot 100入りを果たし、最高68位に達した。

 

・全英シングルチャートでは「暗闇にドッキリ!」が20位、続く「罪と罰」が72位に達した。

 

・「シークレット・ルーザー」は映画『処刑ライダー』の挿入歌としても使用されている。

 

・本作に伴うツアーを最後に、ジェイク・E・リーとフィル・スーザンがオズボーンのバンドを脱退した。

 

参加ミュージシャン

オジー・オズボーン - ボーカル

ジェイク・E・リー - ギター

フィル・スーザン - ベース

ランディ・カスティロ - ドラムス

 

マイク・モラン - キーボード

0 コメント

2025年

7月

07日

★ Rick Derringer/リック・デリンジャー

 

Rick Derringerが亡くなりましたね(2025526日)。

 

享年77歳。

 

僕より1歳年上。

同年代の死は悲しい・・・・・・。

 

彼を知ったのは、1965年。

 

17歳の時。

洋楽の番組を聴いていた時、ラジオから軽快な曲が流れてきたのがMcCoys/マッコイズの「Hang On Sloopy」。

 

この時彼は18歳。

1歳年上だけで「こんなすごい曲を作るんだ!」と感心していたのを覚えています。

 

それからしばらくは僕の耳に彼の情報が入ってきませんでしたが、1973年映画「アメリカン・グラフィティ/American Graffiti」(※1)を観たときに・・・・何と、McCoysHang On Sloopy」が流れてきたではありませんか。

 

 

それも、当時大人気のウルフマンジャックのMCとともに・・・・。

 

「クゥ~、カッコいい‼」

 

急いでサントラ盤「American Graffiti」を購入。

 

 

それから毎日2枚組のアルバムを聴きまくったのを覚えています。

 

(※1)「American Graffiti

 

1973年のアメリカ合衆国の青春映画。

監督は後に「スター・ウォーズ」を生み出すジョージ・ルーカス。

 

プロデューサーは「地獄の黙示録」で有名になるフランシス・フォード・コッポラ。

 

1960年代初頭、カリフォルニアの田舎町にあるドライブ・インを舞台に、4人の若者たちが過ごす一夜を描いた青春群像劇。

バックに超有名なウルフマン・ジャックの名調子で紹介するロックンロールの名曲の数々が流れ最高に盛り上がる映画です。

 

 

当時、最高に気に入った映画・音楽でした。

その後も彼の情報は入ってきませんでしたが、好きなギタリストであるジョニー・ウインターの弟エドガー・ウィンター・バンドにカッコいいギタリストがいると友達に聞きました。

 

それが・・・ナントRick Derringer

 

早速、1972年発表のエドガー・ウィンター・グループのアルバム「ゼイ・オンリー・カム・アウト・アット・ナイト」を購入。

このアルバムからシングルカットされた「Frankenstein/フランケンシュタイン」がビルボード・Hot 1001位を記録。

 

ソロ活動に入った1973年にソロ・デビュー・アルバム「オール・アメリカン・ボーイ」を発表。

シングルカットされた「Rock and Roll Hootchie Koo/ロックンロール・フーチー・クー」はビルボード・Hot 10023位を記録。

 

Rick Derringerのギターテクニックは相当なもので、スタジオ・ミュージシャンとして客演することも多かったようで、バーブラ・ストライサンド、スティーリー・ダン、シンディ・ローパー、ボニー・タイラーの作品に参加しています。

 

1980年代初頭には、アル・ヤンコビックの“Eat It”でグラミー賞を受賞。

「Eat It」は、マイケル・ジャクソン「Beat It」のパロディで世界的に大ヒットしました。

1982年、カーマイン・アピスのバック・バンドの一員として、初来日。

1986年、シンディ・ローパーのパリ公演では、白のスタインバーガーでリードギタリストを務めたそうです。

 

Rick Derringerといえば、個人的にはやっぱり「Hang On Sloopy」と「Rock and Roll Hootchie Koo」かな。

 

因みに、「Rock and Roll Hootchie Koo」を日本のバンドB'zの松本さんやSuperflyもカバーしてたとか・・・。

 

2000年代には、家族との音楽活動も行うようになり、ファミリー・バンド、デリンジャーズとしても作品を発表していたようです。

 

お疲れさまでした。

 

僕らを楽しませてくれ、心より感謝!

0 コメント

2025年

4月

15日

★ Johnny Tillotson

 1960年代のアメリカン・ポップス界を牽引したJohnny Tillotsonが4月1日に逝去。

 

享年86歳。

 

合掌。

 

 僕が洋楽が好きになったのは、家庭環境もあるけどラジオから流れてくる 60年代のアメリカンポップスを聴いてから。

 

それもBeatles以前の明るく軽快なアメリカン・ポップス。

 

ラジオから流れてくるBeach Boys、Louis Armstrong

Roy OrbisonMary WellsSupremesEverly BrothersDel ShannonChubby CheckerPaul and Paula・・・・・・、キリがないね!

 

 親に隠れてラジオから流れてくるアメリカンポップス聞くのは何か少し大人になったような気がして、ヒットパレードのランキングを生徒手帳の白紙ページに書きとめ、翌日友達に得意になって見せていたな~・・・。

 

懐かしい❣!

 

 僕を洋楽好きにしたアーチストの一人がJohnny Tillotson

日本でも大ヒットしたのは、「ポエトリー」「キューティ・パイ」。

 

1961年発表で日本でも大ヒットした「キューティ・パイ」は、伊東ゆかりがカバー。

1964年委発表した「Poetry in Motion/邦題:ポエトリー」は全米2位、全英1位を記録。

日本ではB面の「プリンセス・プリンセス」も大ヒット。

 

 Johnny Tillotsonは、単にアメリカン・ポップスを歌うアイドル歌手ではなく、カントリー界でも認められた歌手。

 

彼は、カントリーミュージックとポップミュージックのギャップを埋めた功績を高く評価され、2度のグラミー賞ノミネートを獲得。

 

2014年にはアメリカのポップミュージックの殿堂入り。

 

彼のファンだった僕らの年代~団塊世代も今年77歳。

僕らを楽しませてくれたアメリカン・ポップス歌手は後何人残っているのだろうか・・・・。

 

 現在、お店オープン時にかけている「本日の1曲目・1枚目」は、今までリクエストのなかったシングル盤大ヒット曲を中心にかけています。

 

facebookに載せていますので、お時間ある方はぜひのぞいてみてください。

 

0 コメント

2024年

5月

06日

★ ディッキー・ベッツ / Dickey Betts

大好きなバンドの一つ、Allman Brothers Band。

 

そのAllman Brothers Bandの

オリジナルメンバーであるDickey Bettsが、2024418日に亡くなりましたネ。

 

慢性閉塞性肺疾患と癌だったそうです。

 

享年80歳。

 

 

心より合掌!

ディッキー・ベッツが亡くなったことにより、Allman Brothers Bandの主要メンバーは全て天国へ・・・。

 

 

1971年にDuane Allmanがオートバイ事故で、

1972年にキーボードのチャック・リーヴェルが同じくオートバイ事故で、

2017年にはデュアンの弟Greg Allmanが肝臓ガンの合併症で、

ドラムスのButch Trucksも・・・・。

 

 大好きなバンドの一つAllman Brothers Bandは、デュアンと弟のグレッグが中心に結成されたオールマン・ジョイズとカリフォルニア州ロサンゼルスで活動していたブッチ・トラックス(ドラムス)、ディッキー・ベッツ(ギター)、ベリー・オークリー(ベース)等が結成した31stオブ・フェブラリーというバンドが合体しAllman Brothers Bandに。

 

 1971年発表の「At Fillmore East」が大成功した直後の同年(1971年)1029日にデュアン・オールマンが24歳の若さでバイク事故で死亡。

その時レコーディング途中だった次作「Eat A Peach」をベッツが中心となって完成。

この実績と強力なリーダーシップと豊かな音楽性を発揮したことによりベッツがデュアンに変わってバンドのリーダーを務めるようになる。

 

 翌1973年に発表した「Brothers And Sisters」は、ビルボード全米アルバム・チャートNo.1の大ヒットを記録。

シングルカットされた 「Ramblin' Man」もポップ・チャート2位を記録し、アメリカの国民的バンドとしての地位を確立。

 

 インスト曲「ジェシカ」は、英テレビ番組「トップ・ギア」のテーマ曲とて使用され、1996年にベスト・ロック・インスト賞を受賞。

 

 1975年に発表したアルバム「Win, Lose or Draw/邦題:熱風」は、全米アルバム・チャートで5位を記録。

 

 しかし、グレッグ・オールマン等と個人的対立やメンバー間の音楽的な意見の相違などにより1976年にバンドは解散。

 

ベッツはDickey Betts & Great Southern を結成。

 

ディッキー・ベッツは、1995年にロックの殿堂入。

 

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第58位、2011年の改訂版では第61位。

 

「ディッキーは、メンバーのデュアン・オールマン、ベリー・オークリー、ブッチ・トラックス、グレッグ・オールマン、そしてクルーメンバーのトゥイッグス・リンドン、ジョー・ダン・ペティ、レッド・ドッグ、キム・ペイン、マイク・キャラハンとともに、空に浮かぶ古い(キャンピングカー)ウィネベーゴで、バンドの音楽を聴いてくれる皆に届けながら世界をツアーしています」と発表したそうです・・・・。

 

 

寂しいね・・・!

0 コメント

2024年

4月

08日

★ Eric Carmen/エリック・カルメン

 Eric Carmenが今年2024312日に亡くなりましたネ。

 

享年74歳。

 

合掌!

 

僕より1歳下。

 

 

寂しいね・・・。

Eric Carmenを知ったのは大学時代。

 

1972年、Raspberries(ラズベリーズ)の「Go All the Way」が全米5位の大ヒット。

 

 

続いて「I Wanna Be with You/邦題:明日を生きよう」が全米16位、さらに「Let's Pretend」が全米35位を記録。

 

 この可愛らしいRaspberries(ラズベリーズ)と言う名前のリーダーが、Eric Carmen

 

 ラジオから流れてくる彼らの曲が凄く新鮮に聞こえてね、確か社会人になってから最初の給料で彼らのBest盤を購入した記憶があります。

 

 

I Wanna Be with You/邦題:明日を生きよう」が日本でも大ヒットした時、この曲と似た邦題の有名な曲との比較が良くされていました。

 

その有名な邦題を持つ曲が、The Grass Roots(グラス・ルーツ)1967年の大ヒット曲Let's Live for Today」。

 

 

この曲の邦題が「今日を生きよう」で、Raspberriesの「明日を生きよう」と一緒にラジオからよく流れていました。

その後、Raspberriesは日本でのヒット曲も無く、1975年に解散。

 

Eric Carmenはソロとなり、シンガーソングライターとして活躍。

 

そしてソロ1stアルバムから記念すべき大ヒットが生まれます。

 

それがBillboard シングルチャートで2位、キャッシュボックスやレコードワールドのチャートでは1位となった「All By Myself」。

 

 

同アルバムから更に「恋にノータッチ」(11位)や「サンライズ」(34位)のヒット曲も生まれました。

 

 「All By Myself」は、自分のことしか見えず、気がついた時には大切なものを失くし、一人ぼっちになってしまった自分の心の葛藤を描いた曲。

 

 映画「ブリジット・ジョーンズの日記」(2001年)の冒頭で、主人公のブリジット・ジョーンズ(レネー・ゼルウィガー)が歌手になりきったように陶酔して、夜中に一人で曲に合わせて絶唱するシーンがあります。

 

 30歳を過ぎても彼氏もいない自分の身の上を嘆いているブリジット・ジョーンズの心境にピッタリなんですね。

 

当店に良く遊びに来て下さるY氏がこの曲をこの上なく愛しており・・・・、理由はわかりませんが・・・・・・・。

 

 後に「20世紀に残したい歌・ベスト100」にも選ばれたことがある名曲。

なので、多くのアーティストが同曲をカヴァーしています。

セリーヌ・ディオン、シェリル・クロウ、シャーリー・バッシー、カーメン・マクレエ、日本では中村あゆみ‥など。

 

 中でも一番有名なのがセリーヌ・ディオンで、1996年にU.S. Billboard Hot 1004位を記録。

 

また、映画やCMにも使用されていましたね。

1995年の映画「誘う女」(ニコール・キッドマン主演)や、自動車メーカーのCM(ダイハツCopen)等。

 

その後しばらくソ低迷が続きますが、1980年代に大復活!

 

 要因の一つが、ミュージック・ビデオと映画がドッキングしたサントラ盤。

当時、「トップ・ガン」、「バック・トゥー・ザ・ヒューチャー」等々が次から次にビルボードでNo,1に。

 

 その波に乗ったかどうか知りませんが、ビルボードNo.1輝いた映画「フットルース」のサントラ盤に書き下ろした「en:Almost Paradise/邦題:愛のテーマ」が大ヒット‼

 

 

 2000年に入ってからは、「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」としてリンゴ・スターと共にワールド・ツアーで活躍。

 

2004年には、31年ぶりにオリジナル・メンバーでRaspberriesを再結成。

元祖パワー・ポップとして再評価され、ニューヨーク・デイリー・ニュースで年間ベスト・コンサートに選ばれています。

 

60年代、70年代80年代に活躍したアーチストは、本当に凄いですね。

 

お疲れさまでした。

 

 

余談ですが、ラズベリーズのウォーリー・ブライソン(1970- 1975年)は、1978年にラスカルズのディノ・ダネリ、ジーン・コーニッシュらと5人組バンド「Fotomaker」を結成しています。

0 コメント

2024年

2月

26日

★ 60年代の人気ポップグループ「The Shangri-Las(シャングリラス)」リードシンガー~メアリー・ワイス

 つい最近知ったのですが、中学生の時に大好きだったPopグループ「Shangri-Las」のリードシンガー~メアリー・ワイスが今年(2024年)119日に慢性閉塞性肺疾患でお亡くなりになったとか・・・。

 

享年75歳。

 

彼女は僕と同じで、194812月の生れ。

何歳になっても同じ年が亡くなるのは、やはり悲しいね、寂しいね・・・。

 

 Shangri-Lasの日本での代表曲は「Leader of the Pack/邦題:黒いブーツでぶっとばせ!」と「I Can Never Go Home Any More/邦題:家へは帰れない」。

 

 当時(中学時代・高校時代)日本でも大ヒットしたにもかかわらず、当店ではほとんどリクエストが無い曲の一つ(15年間でリクエスト2回)。

過去2回ですがリクエストがあった時は嬉しかったな~。

 

とてもいい曲で、今でも大好き!

 

たまにお店でかけています。

 Shangri-Lasは、メアリーとエリザベスのワイス姉妹、妹の友達で双子のマーガレットとメアリー・ガンサーの女性4人組ポップ・グループ。

 

 1964年に最初のヒット曲「Remember (Walking in the Sand)」は、Billboard Hot 100で最高位5位を獲得。

 

 同年9月に発売されたシングル盤「Leader of the Pack/リーダー・オブ・ザ・パック」は、Billboard Hot 100で第1位を獲得。

 

この時代のアメリカの音楽状況は大変な時代。

 

 British Invasion(ブリティッシュ・インヴェイジョン/イギリスの侵略)と言われた時代で、イギリスのロックやポップ・ミュージックをはじめとする英国文化がアメリカ合衆国を席巻していた時代。

 

 Billboard Hot 100Best10には、Beatlesのシングル6曲、Rolling StonesDave Clark FiveKinks等のイギリスのグループのヒット曲が占めている時。

 

 Shangri-Lasは、こんな時代に5位とNo.1を獲得したのだから凄い事だよね!

 

 

 この大ヒットによりシャングリラスは、BeatlesRolling Stonesのコンサートでサポートを務めたそうです。

 1970年にグループのメアリーが薬物で死去し、それを機にグループは解散。

 

 2年後に再結成し、1972年に「Leader of the Pack」が再発売され全英シングルチャートで最高位3位を獲得。

 

 その4年後にも再発売されて最高位7位に輝いたそうです。

凄い時代です良いね。

 

 何度も発売され、その都度チャートインするんだから・・・・凄い‼

 

 2019年、ロックの殿堂で「Leader of the Pack」がシングル部門で表彰。

 

 2021年版のローリング・ストーン誌「オールタイム・グレイテスト・ソング500」で316位にランク。

 

 因みに彼女たちの最初のヒットソング「Remember (Walking in the Sand)」は、2004年にローリングストーン誌「オールタイム・グレイテスト・ソング500」で395位に、ビルボードの「史上最高のガールズグループソング100」で26位ランク。

 

 また、同曲はAerosmithCarpenterTwisted Sister、そして女優としてエミー賞、ゴールデングローブ賞、トニー賞を受賞し、歌手としてもグラミー賞を受賞しているBette Midler等などがカヴァーしているそうです。

日本でも、アン・ルイス が1981年にシングル盤で出しているそうですよ!

 

 Shangri-Lasの「Leader of the Pack/邦題:黒いブーツでぶっとばせ!」、「I Can Never Go Home Any More/邦題:家へは帰れない」等とてもいい曲なので、是非聴いてください!

 

 巷ではなかなか聞けない60年代・70年代・80年代等の曲も当店では「当時の音源(アナログレコード)」で聞くことが出来ます。

 

 

オールディズが大好きな人は、是非聞きに来てくださいネ!

0 コメント

2023年

10月

02日

★ Paul & Paula

 50年代後半から60年代のアメリカンやイギリスのポップスは最高!

大好きです。

 

洋楽好きになった原点は、やっぱりこの時代のポップス。

 

大好きなポップス曲は一杯ありますが、中でもPaul & Paulaの「Hey Paula」は思い出の1曲。

 

そのPaul(本名はレイ・ヒルデブランド)が、2023818日にお亡くなりになりました。

 

享年82歳。

 

 

合掌!

 小学生の頃、我が家にテレビが来て、そのテレビから流れてくる日本語歌詞の洋楽ポップスがカッコよく良くってネ。

 

 女性歌手では、淡谷のり子、越路吹雪、美空ひばり、弘田三枝子、森山加代子、島倉千代子、笠置シヅ子、江利チエミ、雪村いづみ、ザ・ピーナッツ

 

 男性歌手では、坂本九、パラダイスキング、克己しげる、クレイジー・キャッツ等など。

 

 

いろいろな洋楽ポップスがある中、大好きになった曲の一つが田辺靖雄と九重祐三子の「ヘオ・ポーラ」。

 このオリジナルがPaul & Paulaの「Hey Paula」。

 

 196211月に発売され1963年には3週連続全米1位になり、レコードは当然ミリオンセラーに。

 

日本でも田辺靖雄と梓みちよのデュエットでカヴァーされ大ヒットしましたよネ~。

 

 日本ではPaul & Paula1発屋の代表みたいに言われていますが、アメリカ本国では第2弾の「First Quarrel/邦題:けんかでデート」(この曲も良いです!)や、「Young Lovers」、「First Day Back at School」、「Something Old, Something New」などがヒット。

 

当時、オリジナルのシングル盤を持っていましたが、レコードの貸し借りでいつの間にか消えてしまいました。

 

 

当時の学友の誰かが持っているはずなんですが・・・(返して~~)。

 本当に60年代のアメリカンポップスは最高。

 

Paul(本名はレイ・ヒルデブランド)に感謝!

 

 

来年は「オールディズの日」を復活させたいと思っていま~す❣

 

写真は、当店所有のBest盤。

0 コメント

2023年

9月

25日

★ Gary Wright 逝去

 70年代にハードロック、サイケデリック、プログレ等のジャンルで活動したGary Wright202394日にお亡くなりました。

 

享年80歳。

 

 

合掌!

 Gary Wrightを最初に知ったのは、1976年発表の「Dream Weaver/邦題:夢織り人」。

 

 同アルバムからシングルカットされたタイトル曲が1976年にビルボード・ホット1003週連続2位を記録し、ゴールドディスクに認定。

 続くシングル「Love Is Alive」もチャート2位(2週連続)を記録し、ちょっと面白い曲を作るなと思って入手。

 

 

 いろいろと調べたらこのアルバムはソロアルバムで、以前はSpooky Toothと言うバンドでキーボード奏者として活躍。

 

 1970年前後と言えば洋楽を一番聞いていた時期なのにSpooky Tooth」は知りませんでした。

 

 

Spooky Tooth」は気になりつつもなかなか聞けず。

 80年代に入ってやっと調べたところ、「ロックやヘビメタの原点のようなバンドであり、聞いた方がよい!」と某資料に書いてありましたので一番有名な2ndアルバムを入手。

 

 Spooky Toothは、1967年に結成されたイングランドのバンド(本人はアメリカ人)。

 

 1969年発表の2ndアルバムス「Spooky Two」はイギリスではヒットしませんでしたが、A&Mレコードから発売されたアメリカ盤LPは全米アルバムチャートBillboard 200で最高44位を記録、オランダのアルバム・チャートでは最高4位を記録するヒット。

 

 

 

 収録されている「Evil Woman」と「Better by YouBetter than Me」はクラシックロックとして有名で、特に後者はJudas Priest1978年発表のアルバム「Stained Class」(UK27位)でカバーしたそうです。

Spooky Tooth 後ソロ活動に。

 

 「Dream Weaver/邦題:夢織り人」以降もアルバムを出したそうですがヒットには恵まれず、他のアーチストのバンドやリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド等のツアーに参加していたそうです。

 

 Gary Wrightは、天国で生涯の友人George Harrisonと一緒に「All Things Must Pass」の数々の曲セッションしているかもしれませんネ!

 

 日本ではほとんどヒットしていませんが、聞く価値は十分にあります。

 

 

是非、一聴してみては・・・・。

0 コメント

2023年

8月

28日

★ Robbie Robertson 逝去

 The Bandの一員になりたくて “Big Pink”に訪れた超有名なギタリスト~日本では“神”のようなEric Claptonを蹴散らしたのに、病魔は蹴散らすことが出来なかったRobbie Robertson・・・・・。

 

202389日に逝去。

 

享年80歳。

 

合掌。

 著名なアーチストのバックバンドの中には、大メジャーになった素晴らしいバンドはいくつかありますよね。

 

Beatles以前の英国のトップスター クリフリチャードのバックバンドだつたShadows

 

リンダ・ロンシュタットのEagles

 

そしてボブ・ディランのBand等々・・・。

 

 当初、The Bandにはほとんど興味が無かったのですが、彼らの解散コンサート「The Last Waltz」を観て「エッ!Bandってこんなカッコいいバンドだったの!」。

 

 中でもRobbie Robertsonがカッコよくってネ・・・・。

 

最初に買った彼らのレコードは、もちろん3枚組のLIVE盤「The Last Waltz」。

今でも愛聴盤の1枚。

 

Robbie Robertsonは、カントリー歌手ロニー・ホーキンスのバック・バンドであるホークスに加入し、1965年にボブ・ディランのバック・バンドとなる。

1966年、ディランのアルバム「ブロンド・オン・ブロンド」のレコーディングに参加。

 

 

1968年ホークスをThe Band(オリジナル・メンバー:カナダ人4人/ロビー・ロバートソン、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソン、リック・ダンコ、アメリカ人1人/リヴォン・ヘルム)と改名し、1stアルバム「Music From Big Pink」を発表。

 その後、1976年に解散するまで、The Bandのリーダー的存在として活躍。

 

 アルバムでは1975年に発表したRobbie Robertsonの作品ばかりからなる「南十字星」は高い評価を得た。

 

 そして、197611月のイベント「ラスト・ワルツ」を最後にThe Bandを脱退。

 

その後はソロとして活躍。

ネイティブ・アメリカン(モホーク族インディアンの血を引き継いでいる)としてインディアンの伝統音楽とテクノロジーを融合したアルバム「ネイティヴ・アメリカン」等を発表しているそうです。

 

 Robbie Robertsonは、ローリング・ストーン誌が選出した「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」の2011年版にて第59位。

 

 2007年の「歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト」においては第20位。

 

2008年にはザ・バンドとともにグラミー賞特別功労賞を受賞。

The Bandのオリジナルメンバー5名の内4名(ロビー・ロバートソン、リヴォン・ヘルム、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル)が亡くなってしまいました。

 

 オリジナル・メンバー全員が様々な楽器を演奏でき、ミュージシャンズ・ミュージシャンとして、今なお多くのミュージシャンから尊敬を集めているバンド。

 

絶対に観たかったバンドの一つですが・・・、残念です・・・。

 

The Band

1989年にカナダのCanadian Music Hall of Fame殿堂入り。

1994年にロックの殿堂入り。

「ローリング・ストーン誌の選定の歴史上最も偉大な100組のグループ」において第50位。

 

2008年、グラミー賞の Lifetime Achievement Award を受賞。

●聴いて欲しいThe Bandのオリジナル・アルバム

◆ 「Music From Big Pink

 

1968年発表の1stアルバム。

 

 シングルカットされた「The Weight」が翌年の映画「イージー・ライダー」(アメリカン・ニューシネマ)に使用され、全米63位・全英21位の大ヒット!

 

これにより、The Bandの名が全世界に知られるようになった。

 

 このアルバムはサイケデリック全盛時代に発表され、ロック界を根本から変えた類まれな1枚としても有名。

 

 ロックにカントリー、フォーク、R&Bといったルーツ・ミュージックの要素を色濃く反映させた音楽性は非常に高い評価を得ており、「多くのミュージシャンたちに大きな影響を与えた」と言われています。

 

 エリック・クラプトンは、「人生を変えたアルバムの1枚」と評価。

ジョージ・ハリスンは渡米した際、このアルバムを大量に買い、帰国後「これは傑作だから、絶対に聞け」と周囲に配り歩いたとか・・・。

 

 発売当時、このアルバムはお金がなく買うことが出来なかったのですが、お店オープン時に再発盤を購入。

 

しかし、当店のお客さまで最大手レコード会社のMプロデューサーから「当時の盤と全く音が違う」と指摘され・・・・。

 

 

The Weight」はBest盤を使用しています・・・・・、トホホ・・・・。

◆「The Band

 

1969年発表の2ndアルバム。

 

 通称「ブラウン・アルバム」と言われ、多くの批評家から高い評価を受け、多くの人々によって最高傑作と見なされています。

 

 

このアルバムには、「The Night They Drove Old Dixie Down」、「Up on Cripple Creek」、「Whispering Pines」など、多くの名曲が収録されており、ロック史上最も偉大なアルバムの1つと見なされています。

◆「Rock Of Ages

 

1972年発表の2枚組LIVE盤。

 

 1971年の大晦日1228日から31日までのニューヨーク市のAcademy of Musicでの一連のコンサートを収録。

 

ニューオリンズの名手アラン・トゥーサン率いる5人編成のホーン・セクションや大御所ボブ・ディランもゲスト出演。

 

 1曲目は、マーヴィン・ゲイのヒット曲「Don't Do It」と言う威勢のいいカバー曲から始まり熱いパフォーマンスを展開。

 

 

 その他にロビー・ロバートソンの才能がフルに発揮された「King Harvest」や「Stage Fright」や「Caledonia Mission」や「Chest Fever」等を実に楽しそうに歌っています。

◆「Northern Lights - Southern Cross/邦題:南十字星」

 

 1975年発表された6枚目のスタジオアルバム。

 

 The Bandがカリフォルニア州に新しく設立したスタジオ「Shangri-La」で録音された最初のアルバム。

 

 すべての曲がRobbie Robertson作曲というアルバムであり、典型的な70年代の作品として多くの批評家から高評価を得ています。

 

 

 このアルバムには、「It Makes No Difference」、「Ophelia」、「Acadian Driftwood」など、多くの名曲が含まれています。

◆「The Last Waltz

 

 The Band1976年にサンフランシスコのWinterland Ballroomで実施された解散コンサートを記録した映画とアルバム。

 

 1978年発表の3枚組LIVE盤でThe Bandにはまった最初のレコード。

 

実質的に解散コンサートで多数の大物ミュージシャンが参加。

Bob DylanNeil YoungEric ClaptonMuddy WatersVan MorrisonDr. JohnJoni Mitchellホーキンス、Ringo StarrRon WoodPaul ButterfieldNeil Diamond等など・・・、そうそうたる顔ぶれ。

 

 この模様はマーティン・スコセッシの手により撮影され、映画「The Last Waltz」として公開。

 

 この映画でRobbie Robertsonのカッコよさに惚れました!

 

 「The Last Waltz」は、映画もアルバムも両方高い評価を受けました。

 

このアルバムは、The Bandの最終アルバムで代表曲である「The Weight」、「Up on Cripple Creek」、「The Night They Drove Old Dixie Down」などが含まれています。

 

◆「Best盤「軌跡」

 

1982年に発表。

 

 このBest盤は、「持っていなければいけないアルバムの1枚」とも言われ、売れに売れ(僕の周りだけ?)たアルバム。

 

 代表曲である「The Weight」、「Up on Cripple Creek」、「The Night They Drove Old Dixie Down」などが含まれています。

 

 

アルバムを11枚聞くには大変でしょうから、この1枚だけでも聞いてください。

続きを読む 0 コメント

2023年

8月

01日

★ Randy Meisner逝去

Randy Meisner726日に他界。

 

享年77歳。

 

心よりお悔やみ申し上げます。

 

 しかし、好きなバンドの有名人が亡くなるのは寂しいね・・・。

 

 

 Randy Meisnerを知ったのは、Eagles1975年発表した「One of These Nights/邦題:呪われた夜」。

 

 このアルバムの中で大好きな曲が3曲あり、その中の1曲「Take It to the Limit」のリードヴォーカルがRandy Meisnerでした。

 

 因みにあと2曲は、タイトル曲「One Of These Nights/邦題呪われた夜」、「Lyin' Eyes/邦題:偽りの瞳」。

 

 

当店でもこの3曲のリクエストは多いんです。

しかし、Eaglesと言うバンドは本当に凄い。

 

 このバンドのメンバーにより、いろいろな有名なアーチストやバンドを知ることが出来ました。

 

 まだEagles が無名だった時、Linda Ronstadtのバックバンドだったことを知りLinda Ronstadtを初めて聞く。

 

 次に1stアルバム収録の「Take It Easy」によりJackson Browneを。

 

 次にRandy MeisnerによりBuffalo SpringfieldPoco

 

 Jim Messinaにより同じくBuffalo SpringfieldPocoの他にLoggins and Messinaを。

 

 Joe WalshによりJames Gangを。

 

 

ついでにBuffalo SpringfieldによりNeil Youngも。

 それぞれのバンドは、今後ご説明すると思うけど、Eaglesは本当に凄いメンバーだよね。

 

 Randy Meisnerは先駆的なカントリー・ロック・グループPocoのオリジナル・ベーシストとして活躍。

 

1971niGlenn FreyDon HenleyBernie LeadonとともにEaglesを結成。

アルバム「Eagles」、「Desperado」、「On The Border」、「One of These Nights」、「Hotel California」に貢献。

しかし、1977年にEaglesを脱退。

 

 脱退後の彼の動静は殆ど知りませんが、ソロアルバムを発表したり、セッション・プレイヤーとしてジェームス・テイラー、ジョー・ウォルシュ、ダン・フォーゲルバーグ、ボブ・ウェルチ、リッチー・フューレイ等のレコーディング、ライブに参加していたそうです。

 

 1989年にオリジナル・ラインナップで再結成したPocoのアルバム 「Legacy」 に参加。

 

1998年にはEaglesと共にロックの殿堂入りを果たした。

授賞式では、Eaglesのメンバーとともに「Take It Easy」「Hotel California」を演奏したそうです。

 

2013年、EaglesHistory of the Eaglesワールド・ツアー」に参加するよう招待されたそうですが、健康問題のため参加できなかったとか・・・。

 

Glenn Freyも亡くなっているけど、もう一度EaglesのLIVEが観たかったです・・・。

 

 

改めて、合掌!

0 コメント

2023年

7月

17日

★ 「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」のジェーン・バーキン逝去!

英国出身ですがフランスで愛されたジェーン・バーキンが逝去。

 

享年76歳。

 

合掌!

 

 報道で初めて知ったのですが、彼女は国際的に活躍した女優・歌手だったのですね。

 

 良く知られているのが、高級ブランド・エルメスの超人気バッグ「バーキン」や、恥ずかしくて人前で聞けないレコードだったり・・・。

 

 でも、フランスのマクロン大統領も「自由を体現し、私たちの言葉で最も美しい言葉を歌ったジェーン・バーキンはフランスの象徴だった」とバーキンさんを偲んだとか・・・。

 

 日本との繋がりも深かったようです。

1999年発表のシングル曲がテレビの連続ドラマの主題歌に使用されていたり、2011年の東日本大震災の直後に被災者支援のために来日し募金活動やコンサートも行ったそうです。

 

 2018年には旭日小綬章を受章しているそうです。

 

本当に恥ずかしながら、全く知りませんでした。 

 僕等の年代では、とても人前では聞けない通称“Hレコード”で有名なだけだったけど・・・・。

 

 1969年に発表され、全英ヒットチャートでNo.1を記録するも、全世界的で放送禁止曲になるなど物議を醸したデュエット曲の「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」。

 

自分で購入した記憶は無いのですが、なぜか所有しています。

今聞いても、やはり恥ずかしい・・・・。

 

なかなかお店で流すことは難しいとは思いますが・・・・。

 

心よりお悔やみ申し上げます。

0 コメント

2023年

3月

13日

★ Lynyrd Skynyrd創設メンバー最後のギタリスト~Gary Rossington/ゲイリー・ロッシントン

大好きなバンドの一つLynyrd Skynyrd

 

その創設メンバー最後のギタリストであるゲイリー・ロッシントンが35日に亡くなりました。

 

享年71歳。

 

合掌‼

 Lynyrd Skynyrdで一番の思い出は、やはり1977年初来日の中野サンプラLive

 

 約50年前、まだ僕が20代、彼らの名曲の一つ「Free Bird」を生で聞きたく、足を運んだのが今や無き中野サンプラザ。

 

オープニングからメンバー全員がステージ上でビールらしきもの(?)、タバコらしきもの(?)をやりながら次から次にの迫力ある演奏。

 

 大好きな曲Free Bird」で最高潮を迎え、何時間でも演奏が続けば良いと思ったほどです。

 

 この至福の一時の思い出が、9か月後に消えるなんて・・・・。

信じられない事故が発生し・・・・。

 

 そう、19771020日、Lynyrd Skynyrdツアー移動中、飛行機燃料切れにより墜落。

 

 メインヴォーカルのロニー・ヴァン・ザント、ギタリストのスティーヴ・ゲインズ、バックボーカルのキャシー・ゲインズ等が死亡。

 

 

 同乗のゲイリー・ロッシントンも両腕、両足、手首、足首、骨盤の骨折、胃と肝臓に穴が開くという重傷を負いましたが、運よく一命を取り留めたそうです。

 この飛行機事故の前(同年1977年)に発表された5thアルバム「Street Survivors」 のジャケットが飛行機事故を想起させ「ショッキング過ぎる・不吉すぎる」ということで一時期発禁騒ぎとなりジャケットが差し替えられてしまいました。

 

飛行機事故で僕のLynyrd Skynyrdの思い出はこの時点で停止。

 

 しかし、日本Liveが創設メンバーによる最後のLiveになってしまったとは・・・・。

そんな貴重なLiveを見ることが出来たのは、ある意味最高だったと思います。

 

 資料によると事故後、ロニーの弟ドニー・ヴァン・ザントが「38スペシャル」を創設し、しばらくはレーナード・スキナードの後継を名乗り、コンサートでもレーナード・スキナードの曲を演奏していたそうです。

 

 一命を取り留めたゲイリー・ロッシントンは、アレン・コリンズ、ビリー・パウエルらと1980年にロッシントン・コリンズ・バンドを結成し活動を続けたそうです。

 

 しかし、アレン・コリンズは1986年に交通事故で下半身不随となり、その4年後に慢性肺炎により死去。

 

2009年には初期メンバーのビリー・パウエルが心臓麻痺で死去。

2015年には、初期メンバーのボブ・バーンズが交通事故で死去。

2018822日、初期メンバーのエド・キングが癌にて死去。

 

 そして、今年のゲイリー・ロッシントンが亡くなったことにより、創設メンバー全員鬼籍に入ったことになります。

 

 トリプルリードギターでオールマン・ブラザーズ・バンドやアトランタ・リズム・セクションと並ぶサザン・ロックの旗手となったLiveバンドLynyrd Skynyrd

 

 2006年にロックの殿堂入りを果たし、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第95位に選定。

 

 Lynyrd Skynyrd創設メンバーの皆、そしてゲイリー・ロッシントン。

 

ありがとうございました。

 

心より感謝!

 

●当店で聞けるLynyrd Skynyrdのアナログレコード紹介

  Lynyrd SkynyrdPronounced 'Lĕh-'nérd 'Skin-'nérd

 

 アル・クーパーに見いだされ1973年に発表したLynyrd Skynyrd1stアルバム。

 

 Lynyrd Skynyrdが好きになった「Free Bird」が収録されています。

 

 この曲は、1971年に死去したデュアン・オールマンに捧げられた曲と言われており、シングル・カットされBillboard Hot 10019位を記録。

ローリング・ストーン誌選出の「オールタイム・グレイテスト・ソング500」で193位に。

 

 2009年にはVH1の企画「100 Greatest Hard Rock Songs」で26位。

この曲のギター・ソロは、「Guitar World」誌が2008年に選出した「100 Greatest Guitar Solos」で3位に、ギブソン公式サイトが2010年に発表した「Top 50 Guitar Solos of All Time」では6位にランク・イン。

 

 

 音楽評論家達は「ロック史上初のパワー・バラードの1つ」と評している名曲です。

  Seconed Helping

 

 1974年に発表された2ndアルバム。

 

 ニール・ヤングの「サザン・マン」へのアンサーソング「スウィート・ホーム・アラバマ」が収録されていることでも有名なアルバム。

 

 メンバーのエド・キング、ゲイリー・ロッシントン、ロニー・ヴァン・ザント3人の共作である「スウィート・ホーム・アラバマ」は、アラバマ州を題材としており同州の非公式な州歌としても知られています。

 

 発表当時、人種差別主義的な政策で知られるアラバマ州知事ジョージ・ウォレスを賛美した歌と思われたようですが、作詞者のロニー・ヴァン・ザントは完全否定!

 

 同曲は、シングルカットされBillboard Hot 1008位を記録。

ローリング・ストーン誌が選出した「オールタイム・グレイテスト・ソング500」では407位に。

また、ultimateclassicrock.comが選出した「トップ100クラシック・ロック・ソングス」では14位にランク・イン。

アルバムは、1974年に12位を記録し、マルチプラチナアルバムに。

 

 また、同曲は、ロバート・ゼメキス監督、トム・ハンクス主演で199年公開の「フォレスト・ガンプ/一期一会」やトニー・スコット監督、デンゼル・ワシントン、ジーン・ハックマン出演の1995年公開の「クリムゾン・タイド/Crimson Tide」、ニコラス・ケイジ主演で1997年公開の「コン・エアー/Con Air」、2015年公開の「キングスマン」など等、多くの映画サウンドトラックで使用で使用。

 

 更に嬉しいのは、大好きなミニオンズの「怪盗グルーの月泥棒」にも使用されています。

 

 で、同曲は100万枚を超える売上を記録しRIAAのゴールドディスクに。

Free Bird」の他にも「Simple Man」や「Gimme Three Steps」・・・等、Liveでお馴染みの曲が収録されています。

 

 

 発売後、The Who「四重人格」Liveツアーの前座を務めたこと等により、バンド人気は1973年に急速に拡大。

● 「Gimme Back My Bullets

 

 1976年に発表された4thアルバム。

 

 レイナード独特の泥臭さが消え、洗練された音に・・・。

 

 専門家の評価は低いですが、個人的には好きなアルバム。

 

 収録曲の「アイ・ガット・ザ・セイム・オールド・ブルース」はJJ・ケイルのカヴァー。

JJ・ケイルと言えば、クラプトンの「コケイン」等のオリジナル曲多数う持つアーチスト。

 

アルバムは、Billboard 20020位を記録。

全英アルバムチャートでは5週チャート圏内に入り、最高34位を記録。

 

シングル「ダブル・トラブル」はBillboard Hot 10080位を記録。

  Street Survivors

 

 1977年発表の衝撃の5thアルバム。

 

 前述したように、19771020日、ツアー中の飛行機がミズーリ州マッカム近郊で燃料切れにより墜落。

 

ロニー・ヴァン・ザント、スティーヴ・ゲインズ、キャシー・ゲインズらが死亡。

 

 事故前に発表された同アルバムの「火に包まれたジャケット」は、

あまりに不吉であるとし、その後ジャケット写真が差し替えられて発売。

 

 この最初の「不吉な」ジャケットは、長らく入手困難になったのを覚えています。

 

このアルバムから「What's Your Name」、「That Smell」が大ヒット!

 

このアルバムで僕のLynyrd Skynyrdは停止してしまいます。

 

 

 しかし飛行機墜落事故、Lynyrd Skynyrdの精神はロニーの弟であるドニー・ヴァン・ザント率いる38スペシャルに引き継がれて、しばらくはレーナード・スキナードの後継を名乗り、コンサートでもレーナード・スキナードの曲を演奏していたようです。

  Live盤「One More From The Road

 

 1976年発表のLynyrd Skynyrd初のLive盤。

 

 19767月のアトランタ公演のライブ音源が収録され、2枚組LPとして発売。

 

 Billboard 200では9位を記録し、自身2作目の全米トップ10アルバム。

全英アルバムチャートでも17位に達し、初の全英トップ20入りを果たした。

 

 ギター・ワールド誌では、1970年発表のWhoLive At Leeds」、1971年発表のAllman Brothers BandAt Fillmore East」、1970年発表のJimi HendrixBand of Gypsys」、1976年発表のLed ZeppelinThe Song Remains the Same/邦題:永遠の詩 (狂熱のライヴ)」と並んで神殿入りに値する、最も偉大なロック・コンサート・アルバムの一つ」と評価。

 

 また、収録曲「Saturday Night Special」は、銃規制を支持した内容の歌詞で、拳銃を「殺人以外の役に立たない」と批判しているそうです。

 

1974年公開のアメリカ映画「ロンゲスト・ヤード」のサウンドトラックで使用され、1975年にシングル・カットされてBillboard Hot 10027位を記録。

  Skynyd's First And … Last

 

 1978年、事故後に発表されたコンピレーションアルバム(特定のテーマや一定のコンセプトに基づいて集められた楽曲によって構成された音楽アルバム)。

 

 もともとは彼らのデビューアルバムになる予定だったそうですが、結果発表されまなかったアルバム。

 

 アルバムには、1971年と1972年の初期の未発表曲やスタジオアルバム用に再録音される前のオリジナルバージョンが含まれています。

 

 アメリカビルボード20015位を記録し、1978年にRIAAによってプラチナに認定。

 

Lynyrd Skynyrd好きには、とても貴重なアルバムです。

 

 

因みにこのアルバム入手は困難ですが、1998年に名前が変更され発表されているようです。

0 コメント

2023年

2月

20日

★ Burt Bacharach

 大好きな映画の一つ、アメリカン・ニューシネマの「明日に向って撃て!」があります。

 

その映画の挿入歌で世界的に大ヒットした「雨にぬれても」の作曲Burt Bacharach氏が28日に老衰で亡くなりました。

 

享年94歳。

 

合掌!

 

 全米で73曲、全英で52曲のトップ40ヒットを記録を持ち、「イージーリスニングをハイアートに変えた作曲者兼パフォーマー」と評されたBurt Bacharach

 

 60年代・70年代、ラジオから彼の名前が流れない日は無いスーパースターでした。

 

 

洋楽好きには、Beatles以上に知られている存在。

 資料を読んで驚いたのは、作曲家としての下積み時代に彼を支えていたのが、あのマレーネ・ディートリッヒとか・・・。

 

 若い方はご存じないでしょうが、マレーネ・ディートリッヒはベルリン出身の女優。

 

 1930年代からはハリウッド映画に進出し俳優・歌手として活躍した大スターで、第二次世界大戦中には反ドイツの立場でドイツの歌謡曲「リリー・マルレーン/Lili Marleen」を唄った伝説の歌手。

 

 そんな大スターの彼女が50年代、バカラックが不遇だった時期にマレーネ・ディートリヒが彼の才能を見抜いてバックに起用したそうです。

 

凄い人に支えられていたんですね!

ディオンヌ・ワーウィック                ジーン・ピットニー

トム・ジョーンズ                   ダスティ・スプリングフィールド

スタイリスティックス                 カーペンターズ

 バカラックはその後、作詞家のハル・デヴィッドと出会いコンビで作詞作曲を開始。

 

 ディオンヌ・ワーウィックのヒット曲「Don't Make Me Over」やカーペンターズもカヴァーしている「(They Long To BeClose To You」など、後世に残る数々の名曲を発表。

 

 コンビは1970年代まで続き、バカラック・サウンドと呼ばれる独特のスタイルを生みだしています。

 

1960年代から映画音楽の世界でも活躍。

 

 映画「何かいいことないか小猫チャン」、「アルフィー」、「007/カジノ・ロワイヤル」、「明日に向って撃て!」、「ミスター・アーサー」などのサウンドトラックを担当。

 

 特に1969年、映画「明日に向って撃て!」ではアカデミー作曲賞、歌曲賞を受賞。

B.J.トーマスが歌う挿入歌「雨にぬれても」は大ヒット!

 

 1981年に映画「ミスター・アーサー」で再びアカデミー歌曲賞を受賞した。

 

 1996年には、映画「グレイス・オブ・マイ・ハート」の主題歌をエルヴィス・コステロと共演し、アルバム「Painted from Memory」でグラミー賞を受賞。

 

2008年にはグラミーで生涯功労賞を受賞しました。

 

 これまでに彼の楽曲をカヴァーしたアーチストは1000人以上とか。

中には、スタン・ゲッツやピアノの名匠マッコイ・タイナー、ビル・エヴァンス、ウェス・モンゴメリー、ジョージ・ベンソン等など超有名なジャスミュージシャンも数多くカヴァーしています。

 

Burt Bacharachは時代を超越した大スターでしたね。

 

本当にお疲れさまでした。

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

《 当店でBurt Bacharachの作品が聞ける所有レコード 》

 

・ジーン・ピットニー 「恋の痛手」(1962

 

・トム・ジョーンズ 「何かいいことないか、子猫ちゃん」(1965

 

・ダスティ・スプリングフィールド 「恋の面影」(1967

 

・スタイリスティックス 「ユール・ネバー・ゲット・トゥ・ヘブン/邦題:遠い天国」(1973

 

1962年の映画「リバティ・バランスを射った男/原題:The Man Who Shot Liberty Valance」:ジョン・ウェインとジョン・フォードのコンビ最後の西部劇。

ジーン・ピットニーが歌ってヒットした同タイトル曲は、この映画のために作られた楽曲ですが、作中では使われませんでした。

 

1965年の映画「何かいいことないか子猫チャン/原題:WHAT'S NEW, PUSSYCAT?」の主題歌を トム・ジョーンズSir Thomas Jones Woodwardが歌いう大ヒットしましたが、作中では使われませんでした。

 

1967年の映画「007 カジノロワイヤル Casino Royale」。ご存知イアンフレミングの作品で主題歌「恋の面影」をダスティ・スプリングフィールドが歌い大ヒット。

 

1969年の映画「明日に向って撃て! Butch Cassidy and the Sundance Kid

 

 

1981年の映画「ミスター・アーサー Arthur

0 コメント

2023年

2月

13日

★ Hugh Hudson(ヒュー・ハドソン)~映画「炎のランナー」の監督

 28日に亡くなられたBurt Bacharachについてまとめている間に・・・・・また、一人・・・・。

 

 大好きな映画の一つ「炎のランナー/原題: Chariots of Fire」の監督Hugh Hudson(ヒュー・ハドソン)氏が亡くなられました。

 

享年86歳。

 

合掌!

 1981年封切の「炎のランナー」は、1924年に開催されたのパリ・オリンピックの陸上競技を題材とした映画。

 

 真のイギリス人になるために走って栄光を勝ち取ろうとするユダヤ人ハロルド・エイブラハムスと神のために走るスコットランド人牧師エリック・リデルという実在の二人のランナーを描いています。

 

 封切と共に作品も音楽も世界的に大ヒットし、アカデミー賞の作品賞や作曲賞など4部門を受賞。

 

 

本当に素晴らしい映画です。

で、音楽も最高!

 

 実は「炎のランナー」を見るきっかけは、TVから流れてきた映画のCMなんです。

 

 

 当時(1981年)、シンセの音が大好きでネ、TVから流れてきたテーマ曲が素敵で調べてみたらVangelis(ヴァンゲリス)とか・・・・・。

 Vangelis と言えば、リック・ウエイクマンの後任でYESに入るとの噂があったシンセサイザー奏者。

 

こりゃ~聞かなければ・・・、と思っていたのですが・・・、いつの間にか月日がながれ・・・・。

 

 お店オープン後、

Led Zeppelinが大好きなMさんが嬉しいことにこのオリジナル・サントラ盤をプレゼントしてくださいました。

 

Mさん、本当にありがとう!

今でも、心から感謝!

 

 「炎のランナー」のオリジナル・サウンドトラックは、第54回アカデミー賞作曲賞(Best Original Score)を獲得し、米ビルボード・アルバムチャートで4週連続1位を記録。

 

 シングルカットされたオープニング曲「タイトルズ/原題:Chariots of Fire」もシングルチャートで1位を獲得しています。

 

 Vangelisを世界的に有名なシンセサイザー奏者にしたこのサントラ盤を聴きながらHugh Hudson監督を偲びたいと思います・・・・。

 

ところで、Mさんお元気にしてらっしゃるかしら?

 

また遊びに来てくださいね!

 

 

0 コメント

2023年

2月

06日

★ Television の Tom Verlaine

 昨年末から、重要アーチストの訃報が次から次に・・・・。

 

 202210月にJerry Lewis11月にWilko JohnsonIrene Cara

 

 

今年に入ってから、Jeff BeckDavid Crosbyが亡くなり、そしてTelevisionTom Verlaine1月28日に逝去。

 

Tom Verlaine享年73歳。

僕より一つ年下ですよ!

残念です。

 

合掌!

 

 報道によるとTelevisionは、ニューヨーク・パンクの大御所だとか・・・。

Televisionがパンク・バンドだったとは・・・・、はじめて知りました。

 

 パンクは、ロックンロールのスタイルでシンプルなコード進行だけの曲を勢いだけでガシャガシャとギターをかき鳴らす音楽スタイルかと思っていました。

 

 King CrimsonU.K.Asia等々で活躍したJohn Wettonもある雑誌で「パンク・バンドはギターをガシャガシャかき鳴らし、全くギターの技術が無い音楽集団」と言っていたし・・・。

 

 僕もそのように思っていましたので、彼の死亡報道を読んだ時ビックリでした。

 

 僕にはTelevisionの音楽性は従来のパンクの姿勢とは違い、衝動的かつ破滅的な面は感じられず、パンクバンドとしての印象は皆無です。

 イメージしたパンクロックに比べるとアート的なセンスに溢れた音楽性を持つバンドだと思っています。

 Tom Verlaineがリードボーカルとギターを務めたTelevisionは1973年に結成。

 

 1977年にデビューアルバム「Marquee Moon」を発表。

 

このアルバムは、とても不思議な魅力に溢れたアルバム。

 

 パンクのアルバムって単純だしすぐ飽きてしまう(個人的な感想ですが・・・・)感じなのに、全く飽きません。

すごく癖になるアルバム。

 

Tom Verlaineの独特なハイトーン・ボイスとクールで官能的なギター・プレイが特徴的。

 

 ローリングストーン誌によると「1977年に発表された一連の作品のなかでも最も面白く、大胆で、なおかつ不穏」であると評し、ローリングストーン紙の「歴代最高のアルバム500選」の第107位に選出。

 

 2003年に「NME」が発表した歴代ベストアルバムで「Marquee Moon」は、Stone Roses「ザ・ストーン・ローゼズ」、Pixies「ドリトル」、Beach Boys「ペット・サウンズ」に次いで4位という高順位に選ばれています。

 

 Tom Verlaineは、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第56位、2011年では第90位に選定されてます。

 

 Talking HeadBoomtown RatsU2REMSonic Youth等、多くのミュージシャンに影響を与えたTom Verlaine

 

お疲れさまでした。

 

ゆっくりお休みください・・・。

 

写真は、2ndアルバム。

 

 

商業的には上手くいかず、発表後Televisionは解散。

8 コメント

お店へのアクセス

住所:

川崎市川崎区砂子2-8-1

シャンポール川崎互恵ビル103号

 

TEL:044-223-1978


JR川崎駅から徒歩6分
京急川崎駅から徒歩7分

クリックで拡大
クリックで拡大

●各種お問合せ、ご意見等がございましたら、下記にご連絡ください。

 

 TEL:044-223-1978

営業時間

19:00~24:00

 

★定休日:日・月・祝・祭日

 

一般社団法人 

笑い文字及協会

認定講師Mさんより 

●facebookは、竹宇治理夫でやってます。

遊びに来ていただければ幸いです。