僕が影響を受けた一人がコニー・フランシス。
そのコニー・フランシスが、2025年7月16日に他界しました。
享年87歳。
心より合掌!
僕が生まれたのは、終戦後3年目の1948年。
終戦後3年。
もう3年なのか、まだ3年なのか・・・・、当時の映像を見ると、日本国中が貧乏で飢餓状態。
子供が欲しがるお菓子など甘いものが殆どなく、僕の家を含め周囲の家庭は、ほとんど貧乏でした。
そんな時代の楽しみと言えば、ラジオから流れてくる音楽。
大学に入るまで音楽を含め世の情報は、全てはラジオから。
特に音楽~演歌・歌謡曲・流行歌・洋楽等々は、ラジオから頻繁に流れてきました。
だから僕らの年代は、当時の流行歌を今でも歌えますよ!(笑)
洋楽はカバー曲全盛の時代でしたが、ラジオから流れてくるエルビス・プレスリー、ポール・アンカ、ニール・セダカ、パット・ブーン等に影響を受けたのは事実。
コニー・フランシスもその一人。
日本では当時ダイナマイト娘と呼ばれていた弘田三枝子、初代3人娘の中尾ミエ・伊東ゆかり・園まり、川崎出身の坂本九、お笑い系のダニー飯田とパラダイスキング、等々が活躍。
ラジオからは洋楽番組でコニ―・フランシス等々を聴き、TVでは弘田三枝子、中尾ミエ等から洋楽のカバーを聴いて育ちました。
洋楽好きになった原点だよね。
会社定年退職後にお店をオープンさせた頃、同年代のお客様から60年代初期のリクエストをずいぶんいただきました。
コニー・フランシス、ダスティス・プリングフィールド、ブレンダ・リー、・・・
懐かしい~!
今の若い方にも是非コニ―・フランシスや60年代ポップスを聴いたもらいたいです。
コニー・フランシス(Connie Francis)は、1937年12月12日生まれのアメリカ合衆国出身の歌手、女優。
「ビルボードの選ぶ歴史上最も偉大なHot 100女性アーティスト」において14位。
11歳の頃からショーに出演。
1958年にリリースされた「Who's Sorry Now?」が大ヒットしてからは、1960年代前半にかけてヒット曲を連発。
1960年「Everybody’s Somebody’s Fool」で全米シングル・チャート(Billboard Hot 100)1位を獲得し、同チャートで1位となった最初の女性アーティストに。
1961年には「Together」がヒットし、「ビルボード」誌のアダルト・コンテンポラリーのシングルチャートで女性として初めて1位を獲得。
全世界で2億枚以上のセールスを誇り、53曲を全米シングル・チャートに送りこむ。
日本でも多くの曲がカバーされ、弘田三枝子や中尾ミエらが大ヒットに。
1962年、23歳の時に発売した代表曲「可愛いベイビー」は近年TikTokで再注目されているようで、同プラットフォームで100億回再生を突破しているとか・・・。
若い世代からも注目を集めているそうです。
日本でも大ヒットした曲例。
・ヴァケイション (Vacation)
1962年7月発売。ビルボード最高9位。
日本では、同年に青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子、弘田三枝子、安村昌子らによる競作でカバー。
2002年に映画『ナースのお仕事ザ・ムービー』主題歌として観月ありさが日本語詞でカバー。
・ボーイ・ハント (Where The Boys Are)
1961年1月発売。ビルボード最高4位。
日本でカバーしたのは竹内まりや 他
・カラーに口紅 (Lipstick On Your Collar)
1959年5月発売。ビルボード最高5位。
日本では森山加代子や小泉今日子らが、山川啓介の訳詞で伊東ゆかりがカバー。
・間抜けなキューピッド (Stupid Cupid)
1958年7月発売。ビルボード最高14位。モノラル録音。
1998年にフジテレビで放映されたドラマ「Days」で挿入曲として用いられた。
テレビ東京「モヤモヤさまぁ〜ず」では提供ベースに流れるBGMに使用。
・可愛いベイビー (Pretty Little Baby)
アメリカではシングル発売されておらず、日本独自のヒット曲である。
1962年に中尾ミエ(ビクター)、森山加代子(東芝)、沢リリ子(テイチク)、後藤久美子(コロムビア)の4社競作でカバー。
・夢のデイト (Someone Else's Boy)
日本独自のヒット曲。
・ロリポップ・リップス (Lollipop Lips)
アメリカでは発売されず。日本独自のヒット曲。渡辺トモコや「九重佑三子とダニー飯田とパラダイス・キング」が競作でカヴァーした。
・大人になりたい (Too Many Rules)
1961年発売。ビルボード最高72位だったが、日本では伊東ゆかり、後藤久美子などの歌で大ヒットした。
コメントをお書きください