★ 漫画 魚乃目三太(著) 「ちらん〜特攻兵の幸福食堂」

「ちらん」は、ご存知ですか?

 

そう・・、鹿児島県薩摩半島にあり、「薩摩の小京都」として有名な知覧町。

 

そして、もう一つの顔が「特攻の町」。

 

その知覧町に1941年、陸軍知覧飛行場が完成。

太平洋戦争(大東亜戦争)末期に知覧飛行場は、本土最南端の「神風特別攻撃隊」の出撃地に。

「ちらん〜特攻兵の幸福食堂」は、嶋田夫婦と二人娘の4人家族が仲良く切り盛りする繁盛店。

 

1981年(昭和8年)8月に陸軍指定食堂に任命されてから若い飛行機乗りが多数訪れます。

 

この若者達~まだあどけなさの残る20歳前後の若者達は、太平洋戦争末期、特攻隊として知覧から沖縄方面に飛び立ち散った若者達。

 

 

「幸福食堂」は、そんな若い特攻兵達のしばしの憩いの場所になりました。

写真左~当時の「富屋食堂」/写真右~現在の富家食堂

同本は、知覧に実在した「富屋食堂」をモデルに、食堂に訪れる若い特攻兵たちと、特攻兵の母と慕われた女将さんとその家族が繰り広げた優しくて儚い物語です。

 

「幸福食堂」に集まってくる純真無垢な少年飛行兵達の軍隊では見られない素顔。

 

 

女将の手料理を堪能し惜別の唄を残して飛んで行った朝鮮人特攻兵。

 

愛する妻を残して死ぬ事が出来ず、何度も引き返してきてしまう陸軍少尉。

 

いつか「ホタル」になっておばちゃんのところに帰ってくるよといって出撃していった特攻兵。

 

憲兵の検閲があるため、本音で書いた手紙を女将に託した特攻兵・・・等々、涙を誘います。

 

また、幸福食堂の長女と幼馴染の「保」が特攻兵に志願。

しかし、彼は飛行機の整備不良等で帰還。

帰還した兵士は「臆病者・卑怯者」と罵られ、次には必ず死ぬと約束させられる。

飛行機の整備不良等にも拘らず、軍は帰還した保を「死ねなかった特攻隊員」として収監された陸軍の施設「振武寮」で、「何故生きて帰ってきたか?どうして死ななかったのか?」と毎晩のように拷問を受け2度目の出撃に・・・。

そして運命の815日の終戦を迎える・・。

 

この物語は、「特攻の母」と慕われた「富屋食堂」の女主人“鳥濱トメ”さんの遺族のインタビューを基に書かれた漫画です。

 

 

とにかく「はだしのゲン」「紫電改の鷹」等と同じように、一度は読んでいただきたい「戦争をテーマにした」漫画。

 

因みに、特攻隊員が飛び立った飛行場は、日本国内に16ヶ所、台湾に6ヶ所あったようですが、もっとも多くの特攻隊が配属され出撃したのが知覧基地だそうです。

 

特攻隊に選ばれたのは、まだあどけなさの残る若者が、行きだけのガソリンと爆弾を抱え、生還を許されず敵艦に体当たりし散っていきました。

 

知覧から特攻で散った特攻隊員戦死者数は、約4000人ともいわれています。

 

因みに、全国の特攻隊員戦死者数は合計約14,010名(海軍/4,156名、陸軍/1,689名、その他/8,164名)だそうです。

知覧町にある「知覧特攻平和会館」には、太平洋戦争で使用した戦闘機や、陸軍沖縄戦で戦死した1,036名の特攻隊員の遺影や遺書・手紙などの遺品が展示されています。

 

余談になりますが、十数年前に知覧飛行場跡地にできた同館に行ったことがあります。

 

資料の中には特攻に行く前に書かれた多数の「手紙」があります。

その手紙は20歳前後の少年が書いたとは思えないほど、とても字が綺麗で文章もしっかりしています。

 

これを読んだ時、自分の20歳頃を考えると・・・・、情けなくなりました・・・。

 

 

改めて戦争で亡くなくなった方々に合掌!

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