★ 石光真人 編著 「ある明治人の記録~会津人柴五郎の遺書」 読了

“歴史”と言うのは、常に勝者・権力者の記録であり、敗者の記録はほとんど語られることはないよね。

 

でも、そんな敗者の艱難辛苦を一身に受けた歴史の生き証人の記録があるんです。

それが、同書です。

 

今年の5月頃、新聞広告で知り即購入。

初版の発行日を見たら・・・・、何と19715月!

エッ、エッ! 僕が大学時代に出版されていたの?

 

こんな良い本を40年以上知らなかったんですね・・・。

同書は、会津人 柴五郎が晩年石光真人氏に話聞かせたものをまとめた本で、出生・少年時代から始まり、明治時代の士官学校までとなっています。


柴五郎は、会津藩士の5人の男子と6人の姉妹の5男坊として万延元年53日(1860621日)に生まれ、10歳の時に戊辰戦争の一環となった会津戦争に巻き込まれます。


幕末の会津藩の悲劇は知っているよね。

中でも白虎隊の話しが有名だよね(このお話・・・、泣けます!!)

 

会津戦争では、会津藩は薩長に対して下記の体制で迎え撃ちました。

白虎隊:16歳~17歳(予備隊)

朱雀隊:18歳~35歳(実践隊)

青竜隊:36歳~49歳(国境守護隊)

玄武隊:50歳以上

 

当時、柴五郎はまだ10歳だったので白虎隊にも入れなかったけど、子どもながらに悲惨な戦争を味わった。

 

現在、NHKで放映されている八重さんが孤軍奮闘している時だよね。


会津戦争で柴家ではチョット情けないというか悲しいと言うか・・・・、柴家の女性陣~祖母、母、姉、兄嫁、妹の五人が戦の足手まといになることを恐れて全員自決してしまう。


でも男性陣は・・・・・、全員生き延びてしまった・・・・・・。チョット・・・・・、悲しい!!

 

生き延びた会津藩の人達は、戊辰戦争後に「賊軍」となり、男連中は下北半島に追放されて、流刑地のような津軽の地で餓死線上の日々を過ごすなど、塗炭の苦しみを味わったそうです。


そんな中、柴五郎は、紹介者により藩校・日新館、青森県庁給仕を経て、明治6年(1873年)3月に陸軍幼年学校に入校。

明治10年(1877年)5月、陸軍士官学校に進み、同12年(1879年)12月、陸軍砲兵少尉に任官され、翌年12月に士官学校を卒業。


彼は、陸軍部内きっての中国通としても知られ、事ある毎に中国へ派遣されたそうです。


1900年の「義和団の乱」では、柴五郎は配下の日本兵と共に勇猛果敢に戦い、欧米各国から称賛と勲章をもらう。


米国の新聞「タイムズ」の記者ジョージ・アーネスト・モリソンの報道により、欧米で広く知られる最初の日本人となったそうです。

映画「北京の55日」
映画「北京の55日」

余談ですが、この「義和団の乱」は、1963年にチャールトン・ヘストン主演の「北京の55日」と言う映画になりましたね。


この時の日本軍の大将が柴五郎(演じたのが伊丹十三)だったのを初めて知りました。


高校1年の時に八景シネマでみて興奮したのを覚えています。


「ある明治人の記録~会津人柴五郎の遺書」は、北清事変(義和団の乱)で名をあげた元陸軍大将・柴五郎の少年時代の聞き書きですが、薩長中心の維新史を敗者「賊軍」から記録したとても貴重な資料だと思います。

 

 

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